第63回国際がん研究講演会要旨
カリ・ヘミンキ博士 (ドイツがん研究センター分子遺伝疫学部教授)

第63回国際がん研究講演会 (International Lectureship) は、平成17年3月15日に、ドイツがん研究センター (ハイデルベルグ) の分子遺伝疫学部教授・カリ・ヘミンキ博士をお招きして開催された。ヘミンキ博士は、遺伝疫学的な方法を取り入れたヒト発がんの要因に関する研究を長らく続けてこられた。一卵性及び二卵性双生児を用いた統計解析によるヒト発がんの環境及び遺伝要因に関する最近の研究成果は、がん研究者の注目を浴び、その発表論文は広く引用されている。最近は、家族性がんの研究にも精力的に取り組まれている。今回は、「家族性がん:集団から遺伝子へ」というタイトルでご講演頂いた。尚、前日の3月14日には、静岡県三島市の国立遺伝学研究所において、「がん易罹患性の遺伝学」というテーマで講演をして頂いた。講演会には多くの方が参加され、活発な討論が行われたとお聞きした。
ヘミンキ博士の研究経歴
ヘミンキ博士は、1973年にヘルシンキ大学 (フィンランド) を卒業され、医学博士号を取得された。その2年後には同大学医学部生化学教室の助手、1987年には職業健康研究所 (ヘルシンキ) の教授に就かれたのち、1989年にカロリンスカ大学 (スウェーデン) の疫学部教授に就任された。2002年からは、主たる活動の場をドイツ・ハイデルベルグのドイツがん研究センターに移され、分子遺伝疫学部の教授として着任、現在に至っている。2003年より、同センターにおける「がんのリスク要因と予防に関する研究領域」の主任教授として、その重責にあたられている。ヘミンキ博士は、がんの分子疫学の領域で常に世界をリードしてきた研究者であり、2000年にはヒトがんの原因としての遺伝要因と環境要因の寄与に関する画期的な業績を上げられた (New Eng J Med. 343 : 78-85, 2000) 。
がん発生における遺伝要因と環境要因 ―双生児を用いたコホート解析―
ヒトがんの分布には罹患率において明らかな地域差が認められる。例えば、乳がんの発生において、北米地域やヨーロッパ、オーストラリア地域では10万人中90人以上と高い罹患率を示すのに対し、アジア地域や中東地域、アフリカ大陸の一部の国では20人以下の罹患率に過ぎない。このことは、ヒトがんの発生が環境要因と遺伝要因との複合的な作用により規定されていることを示すものである。ヘミンキ博士は、デンマーク、フィンランド、スウェーデンの3か国の約4万5千組にも及ぶ双子の資料を用いて、がん発生に関わる環境要因と遺伝要因の寄与を統計学的に解析した。例えば、がん発生における遺伝要因の寄与に関しては、遺伝子の一致率が100%である一卵性双生児のグループと、一致率が平均50%の二卵性双生児の2つのグループ間のがんの罹患率を比較することで、がんの発生における遺伝要因の寄与を統計的に算出できることになる。主要な11臓器でのがんの発生率を一卵性及び二卵性双生児のグループ間で比較した結果、前立腺がん (42%) 、大腸がん (35%) 、乳がん (27%) の3種類の腫瘍で、遺伝要因の関与が統計学的に示された。カッコ内の数字 (%) は遺伝要因の寄与率の統計学的な推定値を表している。
家族性がんデータベースの構築
ヘミンキ博士はさらに、スウェーデンが国をあげて現在取り組んでいる「家族性がんの研究」についての説明をされた。家族性がん研究の基礎的資料となる「家族性がんデータベース」の構築については、スウェーデンでは1958年に国家規模でがん登録の制度が開始された。このデータベースは、1932年以降に生まれた全てのスウェーデン人とその親 (血縁関係を有する父親及び母親のこと) に関する情報で構成されているものであり、がん情報つきの様々なデータが盛り込まれている。2004年の段階で、そのデータベースの規模は1932年から2002年の間に生まれた1,050万人 (360万家系) の情報を含むといった膨大なものとなっている。データベースの中には、期間中にがんに罹患した症例90万人、上皮内がんの症例20万人が含まれている。このようにして国家規模で登録されたデータを用いた解析から、様々なことが分かってくる。例えば、両親の何れかが胃がんにかかっていると、そうでない場合に比較して子供の胃がん発生率は約2倍に上昇する。大腸がんや肺がんもほぼ同様の結果であった。さらに、年齢差が5歳未満の兄弟間では環境要因等の様々な要因がより均一なためと考えられるが、兄弟で共通のがんを発生する頻度が全体の発生頻度に比べて有意に高くなることが示された。大腸がんでは約2.5倍、肺がんでは約2倍に上昇するとのことである。このように、親子や兄弟で同じがんに罹るリスクを比較することにより、遺伝要因の寄与が予測できる。逆に、夫婦間や兄弟の年齢差でグループ分けして、がんの発生率を比較することで、発がんにおける環境要因の寄与の程度を知ることができる。
家族性がんと浸透率
ヘミンキ博士は、家族性がんについてさらに詳細なデータを提示された。遺伝要因による影響が強くなればなるほど、がんが家族性に集積して発生することになる。つまり、家族内で同じがんに罹る頻度が一般的な頻度に比べて有意に高くなる。例えば大腸がんの場合、先にも触れたが、親が大腸がんに罹っている場合にその子供が大腸がんに罹るリスクは2倍に上昇する。親と兄弟が大腸がんに罹っているとリスクはさらに増え、約8倍にもなるというのである。肺がんでは、親や兄弟が50歳以前にがんに罹っている場合に、子供が肺がんに罹るリスクは約3倍に上昇する。逆に、50歳以上での発症の場合には、リスクの上昇は高々1.5倍程度に止まるとのことである。
遺伝要因を考慮する場合にはさらに、次世代への影響力 (浸透率) が問題になる。家族性大腸腺腫症のように、原因となる遺伝子異常の次世代への浸透率がほぼ100%といった、いわゆる「遺伝性がん」に分類されるタイプのものから、次世代への浸透率が10%以下のものまで様々な程度の遺伝要因がある。浸透率が100%の場合には、片方の親から50%の遺伝子が子供に引き継がれることを考えると、計算上は子供の約2人に1人に親と同じがんが発生することになる。このような場合には原因となる遺伝要因 (原因遺伝子) の同定は比較的容易である。これに対し、浸透率の低い遺伝要因の場合、例えば10%の浸透率の場合には、20人の子供のうち1人が親と同じがんに罹患するとことになる。浸透率の低い遺伝要因の場合には、家族性に集積するがんの場合でも、がんの発症を予測することや、原因となる遺伝子の異常を同定することは困難である。スウェーデンの場合、家族内の集積性を示す家族性がんや遺伝性がんの割合は、大腸がんの約10%、乳がんの約8%、前立腺がんでは約15%と推定されていた。
移民家系のデータを用いた解析
スウェーデンでは人口の約10%が世界中の様々な国々からの移民であることから、種々の民族間での相違点や世代間での違いについての解析も可能となる。移民家系のがんデータを解析することの大きな利点の一つとして、発がんの要因の1つである遺伝要因は移民に伴う環境変化の影響を受けにくい、といえる。逆に、環境要因が大きな比重を占める発がんの場合には、がんの発生率やリスクが移民により有意に影響されることになる。
スウェーデンにおける移民家系の解析の結果、第一世代の移民におけるがんの罹患率は、それぞれの移民の母国における発がんの分布に近いことが分かった。逆に、移民の第二世代ではスウェーデン人と同様な分布・頻度を示すことが分かり、生後最初の20年間の生活習慣が、個々人におけるそれ以降のがんの発生パターンに強く影響を与えるのだろうと述べられた。
最後に
ヘミンキ博士の今回の講演は、がんの臨床及び基礎研究に携わるものにとって、極めて意義深くまた興味ある内容であった。ヒトがんの発生要因の解明という、がん研究において基本的かつ本質的な問題の重要性を改めて考えさせられた。さらに、がんの登録制度を大規模かつ国家レベルで導入することにより、精度の高い疫学的解析が可能となるということを改めて知らされた。
ヘミンキ博士は日本人の研究者とも親交が深く親日家でもある。これまでにも、何人もの日本人留学生を研究室に受け入れてきたという経験を持たれている。今回の来日中に何人かの友人と旧交を温めることができたことを、ご夫妻ともども大変に喜ばれ、感謝されていたことを附記させて頂く。